第18回障害児を普通学校へ全国交流集会 報告 2017.8.26〜27
障害児を普通学校へ・全国連絡会 全国交流集会inくまもと に参加しました。

 私は話を「聞く」ことが好きです。「こんなことがあった」「こんなことをした」「うまくいった」という話もいいし、「失敗してしまった」話は、もっと聞きたくなったりします。
 話を聞いていると、いろいろな考えが浮かんできます。考えることも好きです。考えていると、今度は私が話したくなってきます。ところが発言したいと思った時には、たいてい会議の時間がなくなってしまって、発言できずに残念な思いを後に引きずってしまうことにもなってしまいます。
 このことはこれまでの研究会や集会の報告でもしばしば書いてきたところですが、今回の交流集会でも発言者の話に聞き入ってしまい、発言する機会を失ってしまいました。忘れてしまうにはもったいないやり取りがあったので、書き留めておこうと思います。
 福岡県立高校2年生のNさんは、その報告レポートの書き出しで「はじめに 普通高校へ入学したかった理由」を次のように書きました。
―私は電動車椅子で生活しているが、みんなと同じように普通高校へ入学したいし、みんなと同じ勉強をしたい。今まで、保育園・小中学校と地域の学校だったからです。私には、保育園、小学校で友達がいた。中学校でも友達ができた。高校でも友達をつくりたいと思いました。そして、小学校・中学校で、頑張った勉強を高校でも頑張りたいと思ったからです。現在は、大学進学を目標に学校生活を送っています。―
 報告を聞いて、Nさんの思いはこの「はじめに」の中に集約されていると、私は思いました。Nさんは支援する人たちといっしょに、入試における様々な配慮事項を認めさせて見事合格し、入学後は校舎内のスロープの設置、階段昇降車の導入、多目的トイレの設置、1年後にはエレベーターが完成するなどの施設設備の改善や、特別教育支援員やボランティア支援員の配置などの人的配慮等々、県内の障害者の高校入学に関わる様々なバリアを切り拓き、先進的な取り組みを果たしてきました。
 しかし一方で「知的障害者の高校受験はない。ここ数年肢体不自由など自分である程度できる人が入るようになってきた」と、福岡県の教員から現状の報告もありました。
 矢賀道子さんが勢いよく発言を求めました。なかなか聞き取るのが難しかったので正確さを欠くかもしれませんが。「Nさんは、学校のバリアは改善してきたが、友だちのバリアはどう解消してきたのか?」と質問しました。障害者の大先輩からの質問です(矢賀さんの年齢を知らないので、こう書きました?)。さらに、「つまり友だちと付き合っているのか」と付け足します。
 Nさんは、こちらも正確さを欠きますが、「それはない」「SNSでつながっている」と答えました。
矢賀さん「トイレを友達に頼んだことはあるのか」
Nさん「ない」
矢賀さん「ないんかい」
 会場の空気がピンと張るようななかなか厳しいやり取りでした。私にはとても言えないな、と二人の話を聞きながら感じました。
 終了時刻が迫って最後に指名された参加者から、「学校が終わってから友だちと過ごすのではなくて、毎日放課後児童デイサービスに行っているのは、さびしい気がする」との発言があったとき、Nさんは「児童デイで、検定の勉強をしたり、学校の予習を毎日やっている。学校で過ごすよりいいと思う」と答えました。
 これを聞いて矢賀さんは頭をかきむしり(決して大げさな表現ではなく)全身震わせるようにして、「オマエ(といったか、アンタといったか、少なくともアナタではなかった)高校生か!」と一喝するような厳しい声を上げました。
 高校生のNさんにとって、大先輩からの直球の意見が投げつけられて、さぞかし緊張しただろうし、どう答えていいものか途惑い考えあぐねたにちがいありませんが、障害者同士が年齢を超えて正面から向かい合う圧巻の場面を見た思いがしました。
 閉会のまとめで、分科会の「協力者」(コーディネーター)から、「二人の意見や考えを機関誌に書いて交流してはどうかと、提案しています」との説明がありました。さて、どうなったのでしょうか。Nさんにとっては難しいかもしれないけれど、かけがえのない学習の機会になるのではと思いました。二人の往復書簡をぜひ読んでみたいものです。
 ところで私はというと、高校のバリアを次々と改善してきたNさんですが、資格や検定やテストの「勉強を頑張る」ことでさらにバリアを乗り越えようと努力する姿が、返って自分自身でバリアをつくることになっていはしないかと思いました。
 そのことを、大阪の高校でも入学後の評価や進級や卒業をめぐって様々な問題が起こっていることを報告しながら発言しようと思い立ったのですが、ほらほら、いつものように時間がなくなってしまいました。


“全国交流集会inくまもと”の報告・つづき
 前回は、福岡県のNさんが高校に入学して様々なバリアを解消するために努力する姿を報告しましたが、ダウン症で知的障害のある北海道のヒロムさんは、昨年今年と2年かけて6度目の挑戦で、定時制高校に合格しました。5回の受験ではいずれも大幅に定員割れをしているにもかかわらず不合格になりました。道内でただ一人、ヒロムさんだけが「定員内の不合格者」でした。これって知的障害者を排除する、とても意図的な判断が働いているように私は思うのですが、どう思いますか?
 視覚、聴覚、肢体の障害者に対しては受験上の配慮が行われて、「点数をとることができない」ことが障害である知的障害者に対する配慮は全くなされていない現状の受験制度は、「特別な人に対する特別な配慮・特別な支援」であって、決してインクルーシブではありません。
 大阪では点数が取れなくても「定員内不合格は出さない」との約束で、たくさんの知的障害者が高校に入学していますが、でもね「定員に満たないから入れてあげる」というのと、「障害があってもみんなといっしょに高校で学ぶ」というのは全然違うと、私は思うのです。
 大阪の高校に入学した障害者をみていると二つの共通したことを感じます。もちろん私の経験によればということですが。
 ひとつは、誰もが(経験的にいえばひとりのこらず)「高校生活が楽しい」といいます。それぞれの表現の仕方で、「めっちゃオモロイ」と大声を上げたり、全身をくねらせて声を絞り出したり、ストレッチャーからお尻を浮き上がらせんばかりに興奮する人がいたりと、よほど楽しいことが想像されます。
 もう一つは、評価や進級や卒業に関して、本人や保護者と学校側との間でいろいろな問題が持ち上がっているということです。多かれ少なかれ誰もが経験しています。
 大阪では「府立高等学校における障害のある生徒に対する学習指導及び評価について(府立高等学校長あて 教育振興室長通知 平成13年9月12日付)」が出ています。(長い運動の積み重ねがあって出されたものです。下記の文書中P.57)。http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/5701/00000000/5shou.pdf

 そこには例えば「評価に当たっては、…知識の量のみを測るのではなく、生徒の学習の過程や成果、進歩の状況などを積極的に評価すること」というように、一人ひとりに合った柔軟な評価の仕方をするように指導しています。
 この「通知文」なども頼りにしながら、本人や保護者と、時には支援者も交えて学校側と話したりして、私の知る限りでは、すべての障害のある生徒が進級し、卒業しています。
 工科高校(旧・工業高校)に在籍する2年生のカンさんの保護者から、高校との「成績についての話」に同席してほしいと声を掛けられました。高校生になったカンさんが中学の時には見せなかった積極性を発揮したり、友だちとのつきあいを楽しんだり、先生たちからも陽気なカンさんに気軽に声がかかっている、何よりも本人が「学校が好き」と言っていると聞いていたので、ちょっと意外な気がしたものでした。結論から言うと、私のような当てにならない者でもいっしょに横に付いていてよかった、そう思わせられる懇談となりました。
 教頭、支援コーディネーター、学年主任、担任の4人が母親の前に座り、おもむろに1学期の成績表が手渡されて「やっぱりなかなか点数が取れない」と切り出しました。もうこれだけで保護者はバランスを失い落ち着いて話したり考えたりできなくなるのではと思いました。ましてや「答え」を求められれば、感情的になったりあきらめにもつながってしまいます。高校側の「やり方」はきっと意図したものではないでしょうが、強引な誘導にもつながるのではないかと危惧したほどです。
 学年の教員から・補修テストをしているが単位が取れそうにない。・テスト問題を事前に配ったり、わかりやすい問題をつくったりと支援の仕方をいろいろ工夫しているが、どうすればいいか悩んでいる。・本校はこれまで全員が国家資格を取って卒業することになっている…などら、学校側の困惑を正直に語りました。
 お母さんも何とか宿題プリントや、テストの予習問題を横について教えようと必死にやってきたが、もうわからないことがいっぱいあるし、特に「専科」の勉強は教えようにも何にもわからない。カンさんも家で不満を噴出させて、ものをこわすこともあると実情を訴えます。
 そんな中で、「カンくんが成績のことで苦しんでいる姿を見ていると、なぜこの高校を選んだのか、ここで過ごすことがカンくんのためにいいことなのか分からなくなる。今日はそのことも聞きたい」という話が出ました。
 「カンくんのために」というのです。
 お母さんはきっぱりと答えました。「ここで学べることを学んで卒業してほしい。カンは学校が好きだし、友だちが好きです。みんなといっしょに高校生活を送ることを一番望んでいる」と。
 個人的な意見だがと付け加えて、「みんなといっしょに」が大事ならば、とれる単位だけ取って、みんなといっしょに「出る」のはどうか、という話が出ました。
 「出る」とはどういうことなのか問うと、「転学、退学」だといいます。「誰がカンさんにそれを伝えるのか」聞くと、黙ってしまいました。
 お母さんは、「カンを高校側の基準に合わせることばかり言っているが、高校の基準をカンに合わせて変えることは考えられないのか」と語気を強めました。学校として補修やテストや宿題など支援の仕方をいろいろ工夫して、合理的配慮をしているというけれど、それらは「カンさんを学校の基準に合わせるための支援」の仕方ばかりを考えているので、それではどれだけやっても解決しないというのです。
 「今までに障害のある生徒はいなかったのか」と聞いてみました。「きっといただろうけれど、特別なことはしなかった」と。つまり、親が付きっきりで教えたり膨大な時間をかけて課題を提出したりと、並大抵ではない努力をして見事卒業したのかもしれません。あるいは途中で転学、退学していったことも考えられます。あきらめてしまって。
 現在教育委員会も仲介して話しながら、評価の仕方や授業の進め方など、各教科の履修や進級について検討を進めているところです。少しずつ、「高校側の基準」を変える話も出るようになってきました。高校が意図的に障害者を排除しようとしているのではもちろんありません。分からないのです、きっと。障害のある生徒とない生徒が「共に学び合う」経験がないから、いったいどう考えればいいのか、そして何をすればいいのか、分からないのだと思います。
 カンさんが高校にいることで、高校が揺れて動き出し、少しずつ変わろうとしているように私は感じています。それはカンさんだけではなく、きっと生徒たちみんなにとっていいこと、必要なことなんだと思います。だって、1年から2年に進級するとき、300人の在籍者の内50人がいなくなってしまう現実があるのですから。おそらくこの高校だけの問題ではありません。