新さんの4年間

湯前 登

 【定時制高校】

 20104月、新万智子さんが定時制高校に入学し、4年間の課程を終えて、20143月に卒業しました。大阪府立O高等学校定時制の課程の教員として、きちんと総括できていません。しかし、この4年間のありのままを海外からの研修者に伝え、共に学ぶことによって相互に深め合えることができればと、僭越ながらお話をさせていただきます。

 まず、夜間定時制高校について説明します。本校定時制の課程は、夜間定時制というスタイルです。文部科学省のHPに説明されているものに基づき下に記します。

http://www.mext.go.jp/result.html?q=%E5%AE%9A%E6%99%82%E5%88%B6%E9%AB%98%E6%A0%A1

 

○高等学校の定時制・通信制課程は、学校教育法制定時(1948年)から設けられている。

○創設の趣旨

 ・ 定時制の課程: 中学校を卒業して勤務に従事するなど様々な理由で全日制の高校に進めない青少年に対して高校教育を受ける機会を与える。

・ 通信制の課程: 全日制・定時制の高校に通学することができない青少年に対して、通信の方法により高校教育を受ける機会を与える。

○近年の状況:上記の課程には、従来からの勤労青少年に加え、全日制課程からの転・編入学する方や過去に高校教育を受けることができなかった方など多様な入学動機や学習歴を持つ方が増えている。

○定時制課程は「夜間その他特別の時間又は時期において授業を行う課程」(学校教育法第4条)

本校は夜間の時間帯で、1時間目が1750分開始、4時間目が2125分に終わります。

 

【定時制と全日制】定時制は、14時間を基本とし、1時間は45分授業です。全日制は通常16時間、1時間は50分授業です。定時制は4年で卒業、全日制は3年で卒業となります。ただし、定時制課程でも、定通併修制度等を利用して3年で卒業するコースがあります。

 

O高等学校定時制課程の規模】新さんが卒業した年度は、1年生2クラス、2年生2クラス、3年生2クラス、4年生1クラスで全校の生徒数は146名。同年度の新入生は29名、卒業生は31名でした。教員数は管理職が2名(准校長と教頭)と、常勤職員の教員が20名、事務職員が2名です。(准校長は職級では校長級で、校長と同じ職責にある。O高校の校長は全日制の校長。定時制課程の校長が准校長。)

 

【初めて重度の知的障がいの生徒が入学して】

 本校において、重度な知的障がい生徒が入学した経緯はかつてありません。しかし、様々な配慮を要する生徒は、何人か入学しています。「中学校を卒業して勤務に従事するなど様々な理由で全日制の高校に進めない青少年」、「全日制課程から転入学・編入学する方」、「過去に高校教育を受けることができなかった方」など、「多様な入学動機や学習歴を持つ方」が在籍しています。「勤務に従事する」必要があって働いている生徒はおよそ3人に1人、時間があるので働いている生徒はおよそ4人に1人、働く必要があるが現在仕事を探している人が10人に1人というのが本校の昨年度の調査結果です。それ以外となるおよそ3人に1人は、働かなくてよい、働くことができない、その他という回答でした。「正社員」として働いている生徒は把握している範囲では0名です。一人ひとりが定時制の課程で学ぶ理由を持っています。しかし、文字を書くことができないほどの深刻な障がいのある生徒は新さんが初めてでした。

 学校全体で研修し、支援学校の先生に助言を受けたり、大阪府教育委員会の制度による人的支援も受けました。校内組織もより充実させて、校内で意見交換をし、どのように今後新さんの学校生活を充実させていくかの議論をしました。保護者のお母様とも意見交換を深めました。人的支援は具体的には、介助支援者を新さんの登校する日すべてに配置すること、それと授業中の学習の支援として教員が毎時間つけるようにすることです。介助の支援者には、休憩時間(登校時の付添者から玄関で介助交代をして教室移動、授業中の教室移動・体育時の更衣など)・給食時間・授業中トイレ等で教室を出た時の介助をしていただきました。制度では、介助者の選定及び依頼は学校がすることになっています。必ずしも専門的にスキルトレーニングを受けた人とは限りませんし、毎日同じ介助者に介助してもらえるわけではありません。介助者が休む場合は教員が代行します。

 学習支援の教員は全部の授業に入りました。教材は試行錯誤しながら作成しました。点と点を結ぶ、点線の文字をなぞる、パズル等の教材を準備しました。授業科目ごとに別の教員が新さんに寄り添う形を取りました。

 新さんは入学当時、泣き叫ぶことは多くありました。学校にくるとまず新さんは、「しっこ」「おねつ」と言います。介助者がトイレに連れていくと、なかなか出てこないことがしばしばありました。「おねつ」は保健室で検温のことです。熱がなくても検温するというのが、入学してから1年生から2年生ぐらいまではよくありました。年月がたつにつれ、新さんも慣れて来たようです。学校側も、学校ができることとできないことが見えてきて、少しずつ少しずつ、新さんをどのように学校生活を送らせるかについて、見えてきました。

 

3年時以降】

 私がO高校定時制に転勤になった時は、新さんは3年生です。その当時、私の役職は教頭でした。教頭は、新さんを直接指導する立場にはありません。しかし、管理職として保護者(お母様)とお話をする機会はよくありました。また、今までのいきさつ等も准校長等から聞いておりました。その当時の准校長は、新さんが2年生の時に赴任しました。その准校長の判断で、3年生以降、新さんに寄り添う教員を常時同じ教員としました。その結果、新さんの状態が、少し良くなってきたようです。

 秋には修学旅行がありました。修学旅行では介助者をつけることはせず、付添女性教員を多めにし、複数交代で新さんの介助にあたりました。

 3年の終わりごろ、「まっちゃんあせかいた。」と体育館で新さんが私に言いました。校内で意見交換をしたところ、年々少しずつ語彙が増えていることが確認されました。

 

4年生になって】

 言葉が増えたことは、私たち教員にとっても喜ばしい事として共有できました。3年次の付添教員とは変更がありましたが、4年次の教員は1週間20時間の授業のうち、19時間新さんに寄り添いました。卒業式について、これも緊張しました。いつもと違う雰囲気の中で、新さんが驚かないか、不規則な行動をとらないか、その時はどうするのか。しかし私たちは既に思いや行動についての意見はそろってきていたので問題はありませんでした。他の生徒と同じように接して、大変な状況になれば混乱を治めるよう努力する。混乱によって進行が上手くいきそうにない場合は一時的に新さんを外に連れ出すというやむを得ない処置をとる等の指示を教頭が出すと決めました。

 

【まとめ】

 教師だから、学校だから全てできるはずもなく、当たり前のことを当たり前にする、できることとできないことを明確にする、教える対象生徒の障がいのあるなしに関わらず、そういう当たり前のことを私たちはやってきたのかなと思います。日本の教育もインクルーシブ教育という側面においても、まだまだ途上にあると思います。ともに未来の世界のために、目の前のできることからやっていきましょう。ありがとうございました。