知的障害者を普通高校へ北河内連絡会総会 
          事務局挨拶    2012年9月15日

※“会”の歩んできた経過を整理するためにも、今回の「事務局挨拶」を掲載しました。

 毎回総会の時には、私たちの出発点・原点を忘れないために同じ話をしています。

 2001年に大阪府は、「知的障害のある生徒の高校受け入れにかかわる調査研究校」をスタートさせました。その頃、寝屋川市内の障害者を囲んだ小さな集まりの場でその「制度」を知った一人の母親が「子どもの進路は一つだけではないんですね」、ポツリとそう洩らしました。

 小学校、中学校と地域の普通学校で友だちといっしょに学び遊んできたのに、中学卒業後の進路が障害生徒にはなぜ養護学校(現在の支援学校)一つしかないのでしょうか。どれだけ選択することができるのかが、自由というものの一つの尺度であるならば、障害者の自由が奪われてしまっていることになります。

 現在日本でも批准に向けて進んでいる「国連障害者の権利条約」や、8月に改正された「障害者基本法」、昨日推進会議の骨格提言がまとまったと聞きましたが、「障害者差別禁止法」などの言葉を使うならば、障害者が当たり前に社会で生きていくための、あるいは他の生徒たちと同じように一緒に学んでいくための「合理的配慮」が全くなされていなかったということになります。それは「差別」であると明記されています。

 2002年に、市内の東寝屋川高校に「自立支援コース」を作ってほしいと要望を掲げて、“知的障害者を普通高校へ寝屋川連絡会”をつくりました。高校受験についての情報交換や、小・中学校の様子、地域の生活などについて交流したり、また署名活動や府教委との話し合いにも取り組んできました。

 「みんなといっしょに高校へ行きたい」との声のが広がりを示すかのように、北河内の各市からも障害児童・生徒や保護者、支援者、小・中・高校・支援学校の教職員などが参加するようになって、2006年に“知的障害者を普通高校へ北河内連絡会”と改称して現在に至っています。

 ちなみに今春の高校受験では、北河内連絡会に参加していた4人の生徒全員が、定員割れや一般受験で、3人が府立高校に、1人が私立高校に入学することができました。野崎高校には2年連続で合格し、先輩後輩がいる中で「共に学び、共に生きる」高校教育の実践が期待されるところです。

 一つ紹介させてください。本日の会計決算案に、寝屋川市の“こんながっこーつくろうや”の会から211,204円のカンパをいただきました。現在39歳になる自閉症のマサトくんを中心に活動してきた会ですが、その意志を引き継いでほしいとの願いを込めてカンパしていただきました。

 32年前の寝屋川ではまだまだ「あたりまえ」ではなかったのですが、地域の小・中学校で、友だちといっしょに過ごしてきたマサトくんでしたが、中学卒業後の進路は養護学校しかないという現実にぶつかってしまいました。学校の側が受け入れないのなら、こちら側から「こんながっこーはどうだ!」と「わたしたちのがっこー」を作って見せようとの思いで会を立ち上げました。

 それからでも23年間、府内の各地では中学卒業後の進路、高校入学をめぐって様々な取り組みが続けられて、そして現在があるのだとつくづく思うところです。

 今日は受付に『やったねマーくん』という本を置いています。お母さんが自費出版された本ですが、またたく間になくなり、第2刷を会で出版しました。お母さんの文章のまわりに教師や、隣近所のおっちゃん、おばちゃん、PTA役員、そして何よりマサトくんと関わったたくさんの友達が文章を寄せています。地域の人たちが寄ってたかって作った本で、その本自体がマサトくんが地域で共に生き、地域で共に育った証となっています。ぜひ読んでいただきたいのでお持ち帰りください。

                         (松森 俊尚